雑記

 日本でFacebookが流行るためには何が足りないのだろう。

 まず、なんといってもFacebookの実名前提なところに抵抗を持つ人が多い。日本で隆盛をほこっているmixiも似たようなものだが、あちらはニックネーム、ハンドルネームでのWeb活動が可能であり、実名とは違う感覚を味わえる。
 この「いつもと違う名前での活動の感覚」というのが結構大切で、ハンドルネームのほとんどは実名をもじったものなどであったとしても、普段の自分とは違うペルソナを使えるというのは、特にWebに慣れていないmixiからしたら新鮮なものだろう。思い出してみるといい、十数年前、初めてインターネットに触れたときに考えた自分のハンドルネーム、その名前で呼んでくれた仲間たちを。
 さらにハンドルネーム制では、リアルで本名で呼び合っている仲間とWebではハンドルネームで呼び合うという、秘密の共有ができる。この人のハンドルネームはこれだけど、他の人は知らないという感覚、それもハンドルネーム制+リアルフレンドの利点だろう。

 次に、すでに周りの人がmixiを使っている、という環境がある。同調心理もさることながら、みんながやるとおりにするのが大好きな日本人である。すでにある土壌に抵抗するわけがない。
 また、Facebookにはその土壌がないというのも大きい。なにせFacebookSNSである。それもリアルフレンドとの交流を考えると、みんながFacebookを採用していないのなら、自分だけFacebookを初めても、なにをするのか悩んでしまうだろう。
 そしてなぜmixiには土壌があり、Facebookにはないのかというと、それはmixiが国産なのに対してFacebookは外国産だからだろう。これは仕方のないことだ。

 ほかにも書きたいことはあったが、iPhoneでの入力作業に疲れたため、今回はここまでとする。続きは気が向けば書くだろう。